2012年9月3日月曜日

気付くのが遅すぎた

午前中セミナーがあった。久々のセミナーで全然頭が回転してなくて、散々な結果だった。準備不足だったし、セミナー中も先生の解説についていくのがところどころ厳しかったし、もっともっと勉強しなきゃいけないと思った。
でも、久々に数学楽しいって思えた。
それでも数学の世界からは身を引かなきゃいけないんだよなぁ・・・

負けるのが大嫌いだ。
俺は屈折してる人間で、負けるのが嫌いだから負けないように努力する、みたいなことはしなかった。努力しても勝てないだろうなっていうのが分かってたから。
俺は、多くの場合は、最初から勝負しない。
それを逃げだと評価する人間もいるし、格好悪いという人間もいる。
高校時代にクラス対抗の団体戦とかしても、自分がチームに入るのと入らないのとではどちらの方が勝ちやすいかは自分が分かってたから、一度も参加したことが無い。
俺からすれば、逃げてるわけでも何でもなく、あくまでも戦略的撤退だ。違う場所で勝てば良いと思ってた。
その違う場所っていうのが数学だったわけだ。中学時代、高校時代、大学入ってからも3年あたりまでは本気で世界と勝負出来ると思ってた。数学の世界で名を残せると思ってた。
でも無理だった。

それで微妙に空いた心の隙間を埋めるために熱中したのが囲碁であり、チェスだった。将棋に行かなかったのは自分でも不思議だと思うけど、なんとなく、将棋は囲碁やチェスと比べて地味な印象を受けたし、漢字を使ってるから世界で通用しにくいんじゃないかって思った。

チェスはもともと好きだった。ルールも覚えて、パソコンで時々対局もしてた。

囲碁は『ヒカルの碁』を読んで一時期ルールを覚えようと頑張った。でも、その頃はきちんと教えてくれる人もいなかったからよく分からなくて、その頃に同じように夢中になった数学に目を向けるようになった。たぶん、小説家になりたいって思い始めたのも同じくらいの時期だったんじゃないかと思う。
最近、『天地明察』をきっかけで、また囲碁をやってみたいって思うようになった。不思議なことに、今回は色々なことをすんなり理解できた。終局の仕方もそうだし、死活の問題、手筋、布石、定石。どうしてこんな簡単なことが中学時代は分からなかったんだろうと不思議に思った。
理解出来たら強くなりたいって思った。将棋よりも、より一手一手に意味があるように感じるから、余計に自分の頭の良さが試されてる気になったのかもしれない。
囲碁のプロ採用試験に挑戦出来るのは30歳未満。あまりにも遅すぎる。たぶん、もう少し早く囲碁の面白さを分かってたら本気でプロを目指そうとしたはずだ。

思えば中学生の頃が、俺にとっての人生の分岐点だったんだと思う。
小説家を目指す道を選ぶか、
数学を選ぶか、
囲碁を選ぶか。
何が正解だったかなんて今となってはもう分からないし、小説を書くことだけに必死になったら小説家を書けたかどうかも、囲碁にだけ熱中してたらプロになれたのかも分からない。
そもそも、数学に熱中した過去があるから、今、囲碁を面白いって思う自分になったのかもしれない。
自分の人生を否定したくはないけど、ただ、色々なことに気付くのが遅すぎたのかなって思う。
もっと自分のことを大切にすれば良かったって思う。

まぁ、何を言ったところで後の祭りだけど。

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